受験・教育

一浪から京都大学へ!オール公立校出身の長男の軌跡

受験・教育
おかん
おかん

こんにちは。おかんです!
先日、おにいが20歳になりましたー\(^o^)/

ママ友
ママ友

20歳ですか!おめでとうございます!

おにいちゃんって小さい頃はどんな子だったの?

受験生父親
受験生父親

小学生のときから何でもできる子だった?

ご近所さん
ご近所さん

孫が習い事を考えてるらしいけど、小さい時から習い事とか行ってたの?

おにいが京都大学に合格してから、まるおのママ友や受験生を子に持つ親御さんによく聞かれるようになりました。

たしかに、周りに東大生や京大生を子に持つママ友が居れば、間違いなくおかんも一番に聞いている質問でしょう!

この記事はこんな人におすすめ!

・京大生の幼少期を知りたい
・どのような子育て(教育)をしたのか 知りたい
・京大生の軌跡に興味がある

ここでは、小中高全て公立校へと進み、一浪を経て、今春、京大生になったおにいの公立高校卒業までの軌跡を紹介します。

誕生から幼稚園時

子が親の指を握る

妊娠期間中に胎教していたでもなく、誕生してからも特段英才教育をするでもなく、机に座らせる習慣をつけるでもなく、ごくごく普通の活発な男の子でした。

子育ての基本として、おにいが自ら好奇心を持ったものをおかんも一緒にやってみるというスタンスでした。

幼稚園時代に園からスイミングスクールに週に一度行っていたのですが、水が大嫌いなおにいは、スイミングのある日は園バスに乗ることから拒否。
嫌々園バスに乗せられると、プールバックをドアから放り投げるなど、頑なに行くことを拒否。

これがおにいの頑固な面を一番最初に見た、無理矢理やらされてる感満載の出来事でした。(笑

特段何もしていないとは言いつつ、小さい時から、唯一習慣化していたのは
夜寝る前の 読み聞かせ

おにいが年中時にひめが生まれたのですが、おにいが「今日はこの本読んで!」と選び、
それを読み終えたら寝るを小さなひめも一緒に続けていました。

おにい
おにい

幼稚園めちゃ好きやったけど、週一回のプールだけがめちゃめちゃ嫌やった

小学校時代

地方の、1学年60人程の小規模な公立小学校で過ごしました。

おかんの地元で、おかんも卒業した小学校。

低学年のうちは「宿題をしてから遊びに行く!」という約束で、それだけは忠実に守っていました。

しかし、高学年ともなると、下校時間も遅くなり、宿題の量も増えてくるので、おにい自ら約束の改定を申し出てきました。(←理論立てるしっかり者)

冬場は日が落ちるのも早いので「遊びが先でも、帰宅してから宿題は必ず自分で終わらせる」という約束に変わり、おかんから声かけしなくても、自分から進んで約束は守っていました。

この時の勉強場所は そうです! リビングでした。

小学校時代の習い事

習い事名期間(1~6年生)感 想
お習字6年間(1〜6年生)段習得・表彰経験多数あり
字がとてもきれい
空手3年間(1~3年生)体力作りのため始める
野球との両立が難しくなり辞める
スイミング約2年間(3〜5年生)水嫌いで泳げず、克服のため習い始める
2年足らずで3泳法習得(バタフライ以外)
少年野球3年間(3〜6年生)野球が好き、左利き、投手志望(野球肘で断念)
色々な問題があったが最後まで続け卒団する

勉強よりも運動系メインの習い事をおにい自身が好んだので、公文や学研はもちろんのこと、学習塾には一度も行っていません

どの習い事もまずおかんから声かけをして、習うか否かの判断はすべておにい自身に決めさせました。

スイミングは3年生の夏から渋々通う羽目になりましたが、負けず嫌いの性格が功を奏し、
2年足らずでバタフライ以外の3泳法を習得したところで、おにいが満足して辞めました。

空手はおかんの方が続けて欲しかったのですが、少年野球の練習日が重複するなど両立が難しくなり、仕方なく辞めました。

習い事を続けていく上で、チームプレーが必要となる習い事は多分野において問題が生じることも多々あります。
そのような中で、子どもの気持ちや考えを尊重することが大事だと、おかんはこの時に学びました。

野球を始めとするスポーツはもちろん、勉強や遊び、ゲームも楽しみ、ごくごく普通の、気ままな小学校生活を送っていました。

幼少期から続けていた読み聞かせは、隣でそれとなく聞いているという感じでまだ続行中
というのも、おにいが6年生時、ひめが1年生だったので、ひめにしていた読み聞かせを隣でBGMのように聞いていたという感じです。

おにい
おにい

塾行ったら遊べへんから行きたくなかった!

中学校時代

野球のボールとグローブ

中学受験は周囲の友達もほんの数人ほどしか受験しなかったので、全く考えずに、当たり前のように、そのまま地元の公立中学校へと進学
もちろんおかんの母校です。(←校歌 歌えます(笑)

入学後の一番最初の学力テストでは上、中、下の内、中の上という成績でした。

部活は有無を言わずに野球部に入部。
活動も盛んで、活気ある体育会系の部活なので、中学校と言えども熾烈なレギュラー争いがありました。
その上、学校で決められている夏休み課題提出期限とは別に、少し早めの野球部独自の期限が設定され、その期限を守れないと、秋の新人大会での背番号がもらえない。

今まで緩い環境下で、それなりにこなせていた小学生時代とは打って変わり、始めこそ「よゆう~」と軽んじていたおにいも、ポスターや読書感想文などの大物課題だけが見事に残り・・・

おにい
おにい

おかん、手伝って💦

中学での初めての夏休み課題は「計画通り、自分で率先してやっていかなければいけない」と親子で痛感しながら、おかんも手伝いました(´;ω;`)ウゥゥ

そんな経験をしたからか、その後はしっかりと文武両道を貫き、気の合う仲間と切磋琢磨し、のびのびと最後まで野球を楽しむことが出来ました。

おかんがおにいの勉強に対して小言を言ったことはこの時以降、後にも先にも記憶にありません。

3年の春季大会では4番レフトで出場し、市民大会で優勝も出来ました\(^_^)/

この時の野球部OBや保護者達とは、今でも良いお付き合いが続いており、親子で楽しく、
「素晴らしい時間を共有出来たなぁ」と思います。

学校生活においては、1年時には漠然とした感じで「高校志望校」があったようですが、塾にも行かずひとりで自宅学習を続けていました。

2年時には学級委員を、以降トータル1年間務めるなど、それなりに自主性、協調性、責任感たるものを育みました。

成績のほうは、当初の「中の上」からは自宅学習のみでも徐々に成績を上げており、2年生の終わり頃には、学年約200人中15位まで上がっていました。

塾にも行かずに、ただ自宅学習のみで部活との両立をしているように見えていたけれど、本当は見えないところで努力していたこともおかんは知っています。

「今やるべきことは何か?」を自分で理解し、「当たり前のことを当たり前にこなすこと」がおにいにとってはいたって普通。

それは勉強においても部活においても同じことでした。

部活引退後、ここで初めて、夏期講習から進学塾に行き始めました

その頃には、もう既に、進学したい高校の目標もおにい自身で確定させていたので、
通塾も自ら行きたいと希望し行き始めました。

ちょうどその頃、おかんはまるおを妊娠中で、3人目とは言え、年齢的なもの、10年ぶりのお産、またそれまでの過程が色々複雑だった(←この件については、また別の機会で書きたいと思います)ということもあり、かなり慎重にマタニティライフを送っていました。

なので、おにいが3年時の夏以降は、おかんはあまりサポートをしてあげられませんでしたが、
おとんや祖父母が塾の送迎など、たくさんサポートしてくれました。

冷静に考えると、受験生がしっかりしたおにいだったから、おかんは自分の体のこと、まるおの出産のことを優先的に考えられたのだと思います。

おにいが私立高校を受験し終えた数日後、まるおが無事に産まれ、我が家は5人家族になりました。

それから公立高校の受験までの1ヶ月間、おにいはひとりで黙々と受験勉強を続け、
見事 第一志望校に合格しました。

高校時代

座って本を読んでいる

地元の公立高校で、上位2番目の進学校に入学しました。

なぜ、トップではなく、上位2番目の学校をあえて志願したのかというと、受験前年の、国公立大学現役合格率が全国トップ5位以内に入っていたからです。

おかんもおにいもその時はまだ漠然としてしか大学進学のことを考えてはいなかったけれど、やはり「国公立大学現役合格」というのは憧れでもあり、目標でもありました。

さすがに上位2番目の進学校とあって、上には上がごろごろとおり、入学当初の成績は「中の中」という、至って平凡な成績。

部活も迷うことなく野球部に入部し、これまた負けず嫌いの性格により、文武両道を貫いていました。

進学校と自覚した上での入学、部活への入部なので、おにいだけではなく、周りの友達みんなにとっても文武両道が当然のスタンスでした。

おにいは高校合格を機に一度塾をやめましたが、勉強に対しての不安から、2年から別の進学塾に再度行き始めました

放課後、がっつりの野球練習を終えてから、そのまま野球部員数名と塾へ行き、21時過ぎの帰宅というかなりハードな生活でも毎日を満喫していました。

おにい
おにい

ハードな生活でもしんどくなかったのは、同じ価値観や意識を共有できる仲間がいたから! 

この頃の勉強に関して、おにいから直接細かなことまで伝えてくることはほとんどなかったので、おかんも特段口をはさむこともありませんでした。

3年時でのオープンキャンパスへの参加ではもう遅すぎるとのことで、1年時の夏休みにオープンキャンパスに参加するよう学校から促され参加しました。
(今はコロナ渦のためオープンキャンパスはオンラインでの参加が主流で、学年関係なく参加しやすい環境だと思います。この好機を是非ともフル活用してくださいね!)

おかん
おかん

高校受験が終わってまだ3ケ月しか経っていないのに、もう大学のことって・・・
どんだけ気早いねん。
まだ入学したところなんやから もっと高校生活enjoyしたらいいのに! 

今思えば、どんだけのんきなんでしょうねぇ~ びっくりしますわΣ(・ω・ノ)ノ!

そして、1年の年度末の三者面談時、担任から運命の言葉を聞くのです。

「野球部は練習大変なのに勉強の方もよく頑張っていますね。このままの成績をキープ出来れば第一志望、あるいはもう少し頑張れば、京都大学も狙えないわけではないですよ!

この時のおにいの第一志望大学は「大阪大学」
夏休みのオープンキャンパスにも参加していました。

たった5ヶ月足らずの間に、行きたい大学、学部、しかも学科まで確実に決めていたことに、おかんはただただびっくり ( ゚д゚)ハッ!

おにいは大学受験に向けてかなり先を見据えているのに、おかんは全くの無知状態。

これでは「あっかーん✖」と思い直し、
おかんはここからやっと大学について色々情報収集し始めました。(←おっそ ww)

しかし、この時、おにいの気持ちが揺らぎ始めていたことにおかんは気付かなかったのです!

あの時の担任の一言
このままの成績をキープ出来れば第一志望、あるいはもう少し頑張れば、京都大学も狙えないわけではない

この何とも微妙なニュアンスの一言でおにいのやる気スイッチが覚醒してしまった・・・

まず、おにいが京都大学を目指すために、最初に行動したこと。
それは「部活を辞める」でした。

おにい自ら志望した学校で、自らすすんで入部した野球部。

野球もしたいが、大量の課題や模試なども増え、余裕がなくなり、かなりのストレスを抱えていました。

そのストレスからか口数も減り、ふとしたことに苛立ち、周囲に対しても刺々しい態度をとるようになっていました。

それまでにかなりの葛藤があったようですが、2年の秋、勉強一本に絞り「京都大学を目指す」と決意を固め、最終的に自ら退部を決めました。

進学校での文武両道は進級する毎に並大抵の努力では難しくなります。

おにいは途中で部活を辞めてしまったけれど、そんな環境下でも最後まで部活を続ける人は本当に素晴らしい。
またそのサポートをする親御さんをおかんは本当に尊敬します。

部活を辞めてからのおにいは自分で決めたこと、そして、有言実行を貫くために、人一倍努力していました。

勉強一本に絞り、受験勉強に集中出来るようになったからか、心にも余裕が生まれ、少し穏やかになりました。←これがおかんには嬉しかった(´▽`*)

学校 → 塾 → 帰宅
帰宅時間は21時半過ぎ。このサイクルは受験まで続き、ルーティーン化されていました。

塾で講義を受けたり、自習室は大いに最後まで活用していました。

京都大学を目指す以上、学習時間は10時間以上は必要』という言葉通り、毎日勉強し続けていました。

傍から見ると「そりゃあ、これだけ勉強しないと受からないんやろうな、京大は・・・」と充分納得するに値する姿勢でした。

幼少期より勉強に対して元々 嫌悪感のないおにいでしたが、この時ばかりは流石にかなりきつかっただろうと思います。

まるおはまだ3歳足らず、ひめもまだまだ遊びたい盛りだったので、長期休暇中に おにいだけお留守番で旅行に出かけたりしたこともありました。← ごめんね、おにい

それでも、目標に向かってひたむきに頑張るおにいの姿は、親であるおかんでも尊敬に値するものがありました。

そして3年時、親子共に「現役合格」を念頭において受験するつもりでしたが、秋頃には、おにいの中では既に「京都大学一択」しかなく、幾度かの話し合いの末、
最終的に、京都大学(前期だけ)のみ受験することで一致しました。

私立はもとより、中期、後期を受験し、仮に合格したとしてもその大学への入学意思が無いのであれば、最初から受験せず、京都大学のみ受験で全力を尽くす!!

そうなんです!おにいはこういう性格なのです。

おにい
おにい

自分軸が確立していて、ブレることが嫌い。目標に向かってひたすら努力する。
有言実行する頑固者だー!

おにいの中で浪人も覚悟の上挑んだ、2020年2月 京都大学受験

結果は・・・不合格 ✖

浪人確定と相成りました(´;ω;`)ウゥゥ

まとめ

青空にハート型の雲

長くなりましたが、以上がおにいのオール公立校卒業までの軌跡です。

これまでを振り返り おかんが今、思うこと。

『子どもの可能性は無限大 ∞ 』

右も左もわからないまま、手探りの中 ここまでやってきたけれど、
子育てしていると言いながら、実はおかんもおにいと一緒に育てられていたのだと思います。

与えられた環境下で、また今ある環境下で、「自分が今、何をすべきか?」「当たり前のことを当たり前にこなす」ことこそが重要で、それは親であっても子であっても同じ。

子どもは本当によく親を見ています、良いところも、悪いところも・・・

「親の背を見て子は育つ」という諺があるように、皆さんも見られていますよ~!(笑
お互いに 気を付けましょうね!

おにいは おかんにとって ‘’できすぎくん‘’ !

おかんは今、ひしひしと感じています。(笑

おかん
おかん

おにい、おかんを(京大生の子をもつ)母にしてくれてありがとう!
あなたは おかんにとって 自慢の息子です❤

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